称名滝冬季初登

 夜明け前、称名滝全体に轟音が鳴り響いた。握り締めているバイルに力が入る。私は、あこがれ続けたこの滝の最も難しい部分をリードしている最中だ。背後に流れ落ちている滝の瀑水は常時大音量を発しているが、それとは比べ物にもならない破壊的な音に私は縮み上がった。「取り付きの、宮城がヤバイ!」暗闇で何がどうなっているのか全く分からなかったが、自分達にはどうしようもない強大なエネルギーを感じる。状況的にヤバ過ぎた。
 この世の物とは思えない恐ろしい轟音は鳴り続けている。不安定なベルクラとスラブにへばり付きながら私はランナウトしていた。滝の基部にいる宮城が何かを食らえば吹っ飛ばされ、私も引きずり落とされるはずだ。早くプロテクションを取りたかったが冴えないリスにピトンが半分刺さっただけ。先を急ぐ一手に焦りがみえて、頼りないモナカ氷をバイルが切っていた。ここでミスすることは絶対に許されない。震える自分に「焦るな、落ち着け」とつぶやき、ヘッドライトに照らされる周囲2mに集中した。

 称名滝は、私にとって特別な思い入れのある滝である。滝下に行って見上げた回数。実際にトライした回数。いずれも最多だ。本格的なクライミングを始めてからずっと付き合ってきた課題であり、常に憧れであった。今回行った冬季初登を紹介する前に、そこに至るまでの、称名滝との個人的関わりを記したい。

●1998年。称名滝との出会い
 高校山岳部で登山を始めた私は、大学進学で移った北陸で本格的なクライミングを始めた。初めての岩場は富山県の雑穀谷である。初めて体験する緻密な花崗岩のスラブに小鹿のごとく足を震わせて1日を過ごした。その日の終わりは、称名滝の見学へ。展望台から見上げた称名滝は、圧倒的で驚愕の光景であった。しかも案内して頂いた先輩クライマーは、「この称名滝と隣のハンノキ滝も、登ったことがある」と仰っているではないか。「こんなの人間が登れるの?」心底、驚いたものである。登攀の様子や、登ったラインを聞いて、「本当にスゴイ人がいるもんだ。いつの日か私も、登れるといいなあ」と淡い憧れを抱いた。これが、私と称名滝との出会い。今から、15年前18才のことであった。

5月の称名滝(左)とハンノキ滝

2000年。称名滝3~1段目※の登攀
 大学時代、平日は毎日クライミングジムに入り浸り、2年生になるとジムの近くに引っ越して登り込む日々。休日は必ずと言っていい程、山へ向かった。夏は、白山の懐で沢登り中心の山行が続いた。毎週、新たな発見と刺激を得られた私の山人生の始まりであった。
 先輩に連れられて、称名滝にトライしたのは大学2年の晩秋。圧倒的な称名滝にいよいよトライだ!ドキドキしながら最下段の爆風轟く滝壺目指して歩いていく私は、先輩に呼び止められた。
「佐藤!どこ行くんや、登路はこっちやぞ!」瀑音に負けないように怒鳴っている。
「エッ!なんで?ここから登らないんですか?」
「いやー今回は無理やろ。。。(こいつ、何言ってんだ?)」
 スタートは冴えない樹林からの巻きルートが一般的な登攀ルートであること。一番目立つ4段目(最下段)は未登であること。経験を積んだまともなクライマーが見れば、それは登攀不可能である事。称名滝にトライする者なら常識と言っていい、これらの事を私は知らなかった。ただ、ノホホンと滝は下から登る物と思っていただけだったのだ。何たる無知。正直に告白すると、過去の記録もロクすっぽ頭に入っていない有様で、まことに恥ずかしい思い出である。
 気を取り直して、4段目を左の樹林から巻き登攀を開始。爆水と爆風を受けながらの厳しい登攀が始まった。3段目では、それまで登られていなかった水流沿いのラインで強烈シャワーを浴びながら会心の登攀が行えた。2段目落ち口ビレイ点では冷たい瀑水で低体温症になりかけた。スケールの大きなあの滝に一つも無いボルト等の残置物。厳しい中にも美しいクラックとリスを使ってフリークライミング中心で登る事ができる称名滝の大登攀は素晴らしく充実したものとなった。
3段目を登攀する佐藤。
 初登攀は、私が生まれる以前である1972年。芦峅山岳会の勇敢な2名によって成された。過去の例がない状態で、称名滝の登攀を狙い、あの2段目爆水ラインに突っ込んでいく時のプレッシャーは如何ほどだったろうか。その当時の技術水準、ギアの性能を考えると、日本の様々な初登攀の中で特筆に値する登攀であったと感じる。
※滝の最上段を1段目して数える。称名滝は全4段350mの落差を誇り水量が秋でも途切れない滝としては、日本一の滝と言われる。

2002年 称名滝4段目(最下段)の初登攀
 南米登山旅行の休学1年間を経て大学5年目の秋。改めて、称名滝に向かい最下段をトライした。今振り返ると、自分自身が狙った大物の初登攀というのは、これが初めてである。この山行で、それまでやってきた登山と、初登攀との大きな違いに気が付かされた。人が試みた事が無い対象に挑戦するのは、恐ろしいことである。展望台から眺めると、称名滝4段目の傾斜は上部とは比較にならないほど立っており、摂理も少なそうに観察され、それまでほとんどの登攀者は「登れない物」と決め付けていた。それに挑むのだ。クライミング的に登れる・前進できるのかとうより、大袈裟に言うと死なずに戻ってこれるか否かという部分でプレッシャーを強く受けた。プロテクションを取れるリスはあるのか、ビレイ点はしっかり作れるのか、壁のヌメリ具合や摂理、傾斜具合、適切なラインがどれなのか、、、心配なことだらけだった。
 結果は、下部を爆風浴びながらの微妙なフリークライミング。中間部の強い傾斜部分はエイド。その後に続く嫌らしいスラブはランナウトのフリークライミングで切り抜けた。ボルトも使用する事無く、この登攀を完成する事ができたことにビックリしたし、とても満足いく山行だった。

称名滝四段目(最下段)初登時 2002年10月

ウインタークライミングin称名滝
 冬の称名滝ライブカメラをいつから意識しチェックし出したのだろう。2007年冬のライブカメラ画像が手元に残っているので5年以上は見続けているようだ。無雪期の称名滝を登攀した経験から、冬は相当厳しいと想像できた。正直、冬の称名滝を登攀対象として捉える事は、当初できなかった。アルパインクライミングの経験を積み重ねていく内に、「登れないもの」と決め付けていた課題は、しだいに憧れに変わり2010年冬には独り偵察を行う。登攀適期を既に過ぎた3月中旬であったが、ベルクラを付けた称名滝を実際に目の前にした。美しかった。恐ろしい迫力に圧倒されつつも、憧れは目標に定まった。称名滝ライブカメラのチェックが日課となる。しかし、登攀者としての目で見れば見るほど、危険で困難な冬の称名滝を思い知らされて、トライする自分を想像するのが恐ろしくてしょうがなかった。滝の冬季登攀と言えば凍結した滝をアイスクライミングするイメージだが、圧倒的水量を誇る称名滝の本流は1年中露出したまま流水を落とし続ける。登攀するのは夏同様に水流脇となり、側壁のミックス帯。この辺りの雪の量は半端でないが、取り付きの標高は985mである。高差350mを経た最上段落ち口でさえ標高1400mしかない。内陸性気候でもないので気温は十分に下がることなく、側壁にへばり付くベルクラは脆弱な物と予想される。ライブカメラを毎日の様に監視していると、凍っていた(白くなっていた)滝の側壁が、晴天によりあっと言う間に崩壊し黒々とした壁を露にする場面を目にしてきた。へばり付いている白い物は、スラブに乗った雪。それに飛沫が当たって薄くパックされていると考えるのが妥当だろう。アイススクリューでプロテクションが取れるとは思えない。氷雪に隠されたリスを探すのは手間が掛かりそうだ。ピッチによってはランナウトが必須と思われた。
 いずれにせよ、称名滝の冬季登攀のチャンスは側壁の氷雪ベルクラが発達する厳冬期。しかし、雪崩の危険が非常に大きいので、降雪の無い連続した数日が必要だ。北陸でそれを求めるのは無理があるけど、やはり3日間は欲しい。しかし、晴天だと氷雪ベルクラが一気に崩壊しかねない。相反する微妙な条件がこの登攀を難しくしていた。
 毎年、1月に入ると発達していく称名滝をライブカメラでチェックし、天気予報を調べる。緊張しながらチャンスを伺った。2月中旬以降、春一番辺りで一気に崩壊して登攀不能になってしまうとホッとするような数年を過ごす。目標と定めたはずが、取り付きにさえ立っていない情けない自分が許せなかった。「今年こそ絶対にトライする」と意気込み今シーズンを迎えた。

●2013年 トライの時。
 1月上旬、ライブカメラで見る称名滝は白く色付いていた。「今年は早い内から発達し始めたな」とのん気に構えつつ、これも日課となっている富山の天気予報を調べると週末の3連休全てが曇り。この時期、北陸で降雪の無い日なんて数える程である。稀に見るチャンスであった。早速、最近この滝の話で盛り上がった宮城に連絡を取った。
 パートナーも確定し、いよいよトライが現実的になると非常に緊張してきた。ライブカメラと気象情報を1日に何度も確認し、ドキドキして夜も良く寝られなかった。危険な週末になることを感じ取った妻も不安そうに過ごしている。宮城と長電話して打ち合わせする日々。「死ぬかもしれないから、ちゃんと親に説明しておいてね」と伝えた。実際、本気でそう思っていた。5年間恐れ続けてきた課題に触れるのだ。リスクはゼロにならない。

称名滝全四段 2010年3月 偵察山行時

1日目 2013年1月12日
 称名滝へ続く林道をヘッドライトの光を頼りに黙々とラッセルを続けていると、対岸にある「悪城の壁」からの氷塊崩壊音が闇を裂き、宮城と顔を見合わせた。「ビビらせるなあ。」出発してから4時間で、称名滝を目前にした。先ずは、懸案の4段目(最下段)を検討する。夏に垂壁部分をエイド交じりで登った左壁は、雪っぽい白い物で覆われていたが明らかに傾斜が強くこの時期、登攀の対象として考えられない。事前に考えていた選択枝はふたつ。ハンノキ滝の中段スラブを登って右壁上部に取り付きトラバースするか、無難に左の樹林帯から巻くか。右壁を見上げて直ぐに「あれは無理じゃないですかねえ」と宮城。「確かに」と私は頷きながらも、長年写真で見続けてきた右壁トラバースラインの実物をじっくりと見つめた。やはり、こうして見るとブッ立っている。この夏に右壁を試みた成瀬さんが右壁にはリスが全く見当たらずに敗退した事を知っていると、尚更この壁が恐ろしく思えた。1P丸々ノーピンでのトラバースになる可能性が大きいが、「その覚悟を決めるにはミックス状に見えるスラブの傾斜が強すぎやしないか?」理想と妥協を行き来しながら迷った後、無難な選択枝を取った。左の樹林帯から巻く事に決定する。4段目落ち口までの巻きルートから落ち口のバンドへ。雪崩をまともに受けない場所を今日の幕営地と決めてから、3段目の登攀を開始した。最下段の落ち口に立ってビレイする。夏であればこの地点で爆水と爆風をまともに受けることになるが、少ない水量と滝壺手前に掛かるスノーブリッジのお陰で飛沫は舞い上がらず平和な登攀だ。左壁のミックスから草付きを2P分フィックスし引き返す。順調な1日だったが、夕方より雪が舞い始める。ホンの少しの降雪なのに、いきなり雪崩の音が谷を震わせた。
 やはり、ここは危険極まる谷である。

称名滝 冬季初登ライン(最下段落口にビレイヤーが見える)

2日目
 目を覚ますと、幸いな事に降雪は止んでいた。フィックスロープをユマーリングしてから、凍った泥壁トラバースから登攀を再開する。当初から冬季登攀の核心と想定していた2段目の登攀。無雪期は、まともに目も開けられない猛烈シャワーに耐え垂直に近い壁を弓状のクラックに沿って突破する。常時、暴風雨状態の2段目落ち口ビレイ点は、瀑風テラスと名付けられ、無雪期に低体温症になりかけた部分だ。冬にあの爆水を耐えられるだろうかと私を不安にさせ、ドライスーツまで着てここへやってきた。しかし、目の前の2段目滝は、ベルクラと雪に側壁が覆われていてなんと飛沫さえ浴びずに滝を見上げることができた。頼りのクラックは氷雪の内でプロテクションに懸念はあるが、登攀可能なラインが見て取れた。氷質は予想通り悪いが緩傾斜の下部は無難にこなして35mでピッチを切る。2P目。このピッチが核心だろう。プロテクションは、期待できない。僅かなギアと共に軽やかにスタートした。スラブのトラバースから始まる部分がいきなり微妙でプロテクションはボロボロの氷に5cm刺したスクリューのみ。慎重に進んだ。落ち口付近までは、気休め程度の2~3のプロテクションのみでロープを伸ばしてからようやく手応えのあるアイススクリューを設置する事が出来た。折角なので、そのまま、1段目の滝壺方向へトラバースし水流に足を入れ戯れに爆水を浴びてから、引き返し2段目を乗り越す。いよいよ最終落ち口が近づいてきた。最上段の登攀ラインは、傾斜ある岩が散見されているがプロテクションも取れそうだ。行けるはずだ。宮城がこのピッチを楽しみながらロープを伸ばす。フォローしてみると思ったより、傾斜があるがフッキングも良くきまり不安なく進んだ。落ち口までは微妙にロープが足りずにイボイボ2本でビレイしている宮城を通りこす頃、私は笑みを堪え切れなかった。明るい陽射しに照らされた落ち口がすぐ見えている。

二段目2P目をリードする佐藤

 気分良く称名滝の落口でビレイしながらも、気に懸かる事が一つ。初日、見下ろした最下段左壁のことだった。見渡す事ができる上部は、意外なことに登れそうに思えた。下部は傾斜があり過ぎて確認できないが、その先には噴火口の様になった滝壺が、近づきがたい雰囲気を発していた。「再び厳冬期に、この場所に来ることは無いだろう」最下段の滝を懸垂下降して、あの世界を少しでも感じてみたいと思った。
 幕営地である最下段落ち口まで戻ると宮城に自分の希望を伝えた。「エッ!?。。。オモシロイこと言う人だなあ」と彼特有の言い回しでビックリしながらも、私の遊びを許してくれた。60mロープを2本連結して120mの懸垂下降。瀑音を受けながら、「奈落の底」の様な滝壺へ近づいていく。胸の鼓動と興奮を抑えられなかった。氷雪の質は、当初思っていた物と大差ない。壁にへばりついた雪が飛沫によってパックされているだけだ。時折、氷やベルクラと呼べる部分が僅かにあるが、逆にスラブが露出している部分も見られた。それでも、アッセンダーを付けて試登してみると、プロテクションの問題があったが、少なくともムーブ的には登ることはできそうだ。
 最下段落ち口の幕営地に戻り、全てを回収して懸垂下降した。

四段目「奈落の底」へ向けて懸垂下降する

3日目
 3時半起床。外に出ると予想外の雪が降っている。小降りと呼ぶには無理がある降り方だった。
 入山前の天気予報だと、南岸低気圧の通過で北陸地方は曇り。雪がチラつくことがあっても本降りにはならず、称名滝の登攀には理想的な天気だろうと期待していたのだ。希望的観測で、不安な自分を騙しつつ出発の準備を進める。その頃、南岸低気圧が予測できないほどに急速に発達し、爆弾低気圧になって世間が大混乱していることなど知る由もない。
 出発時、5cm程の新たな積雪を確認するが昨晩のトレースは残っている。未明からの降雪だろう。ベースを張った場所から、取り付きまでの雪崩ポイントはいずれも左岸側からの2ヵ所。50m先に大きめの沢。取り付き直前のハンノキ滝からの雪崩は当然、要警戒だ。それでも、トレースが残っている今の状態ならスピーディーに通り抜けられるし、取り付いてしまえば最下段の登攀中、致命的な雪崩はないと判断。闇と雪に紛れて出発した。
息を切らして取り付きに到着。クライミングの難しさを考えると、夜明けを待って登り始めたかったが、悠長なことは言っていられない。ヘッドライトの光を頼りにバイルを振り始めた。所々で雪ベルグラを剥がして、水が流れている岩にリスを探し当てピトン、ナッツを決めて進んでいく。30m程ロープを伸ばすと傾斜が最も強い部分になった。夏の登攀時、エイドで登った垂壁部分が帯状に上下を隔てている。なるべく傾斜を避けようと滝へ近づくランペを辿ってから、強傾斜を乗り越す。乗っ越した部分は、ベルクラの発達が無く、水の流れるスラブが露見して不安定にクランポンを軋ませた。ランナウトもしていて称名滝全体の核心部である。慎重に一手一足を決めていると、黒い背後の瀑水が暴れだした。「ドゥドゥドー!」その正体が何なのか分からなかったが、生命体がここにいてはならない事だけはハッキリしていた。取り付きの雪面でビレイ中だった宮城は、頭上右から降り注いでくる暴力的な流れと爆音に死を覚悟したそうだ。瀑水とブロック状の塊が降り注ぎ、噴火口状の滝壺に収まりきらずに溢れる様子を、暗闇の中で彼は感じ取っていた。
 ロープを引っ張られていないことを考えれば、彼もなんとか生き残っていると思った。しかし、轟音は鳴り続けており、いつ彼が煽りを食らうか分からなかった。自分が食らわないという保証だって、どこにも無い。猛烈なプレッシャーの中で、スピーディー且つ確実に、厄介なスラブを登って行かねばならない状況をやり過ごし、ピトンとカムで作ったガッチリしたビレイ点に辿り着いた。素早くロープを引き、宮城を少しでも安全な上部へと導いた。こわばった顔を見せつつも五体満足でフォローしてくる彼を見て少しホッとした。
 2P目。1P目後半で、左にトラバースし滝身から離れたこのビレイ点なら、滝本流からの落下部を食らうことは無いだろう。すでに夜は明けていて、雪崩が頻発している周囲が見渡せた。雪崩に埋まったトレースを確認するまでもなく、あの取り付きに戻る選択枝は既に消去されている。上部雪面からの雪崩に気を付ける様に伝えてから、リードする宮城を送り出した。左手の浅い沢状から、軽めのスノーシャワーを数度、被りながらビレイを続ける。振り返ればハンノキ滝が常に雪崩れており、水流を雪の流れと変えた500mの白龍と化していた。ハンノキ滝に棲む白龍の尾は、称名滝からの瀑風によって滝壺に届かずに舞い上がり続けている。極めて危険であるが「美しい」と感じた。凄まじい光景を掻き消すように、大きなスノーシャワーが視界を奪う。「なぜ、落ちなかったのか不思議なくらい」後にそう回想した宮城はランナウトしながら必死に壁に張り付いていた。状況が許せば四段目を登った後、再び上部三段を登って気持ち良く落口に立ちたいと思っていたがビレイ中、最下段と3段目の間へ、左岸から5回は雪崩が襲っていた。素早くフォローを終える頃には、降雪の勢いは更に増し、帰りの林道歩きでさえ本気で心配しなければならない状況になっていた。「脱出しよう」

 相手(自然)が本気を出せば絶対にかなうはずが無い。今までの登山で私が思い知った事と言えばこの一点だろう。ホンの少し本性を見せた称名滝のエネルギーに、チッポケで無力な自分を再確認した。自然を恐れ敬い憧れる。そんな登山を、私は続けていきたい。

1段目 スノーシャワーを浴びながら登攀する宮城