高瀑 日本最難の大滝登攀

 大滝を目の前にして酔いつぶれ、焚き火のかたわらでゴロ寝していた僕は満月に照らされる高瀑を見た。落ち口から宙に飛び出した流れは月光に輝き、そのハングした柱状節理の突端にすら触れることなく滝の上部50mを一気に落下して闇に消えてゆく。「あの輝きの奥に隠されているのは何なのか?」夢の中で明日が最高の日となるよう願った。
 数mの厳しいボルダーであったり、美しいフェースであったり、時に高所に聳える北壁であったり。様々なものに僕は魅了される。「目の前に現れる、圧倒される全ての自然を自身の力で登り感じたい。」そう思い続けて山に登り、沢に登り、クライミングをして自分の可能性を高めてきた。僕の夢とはそう言うことだ。ずっと夢見の中で走り続けたい。

 初めて高瀑(タカタル)を目前にしたあの胸の高まりをどう表したら良いのだろう。登るべき夢を前に、心が震えた。「凄い。これは登れる!行ける!」不可能と決め付けてしまいそうな自分を奮い立たせるように叫んだ。完璧なラインがそこにあった。出会いからトライを迎えるまでの2ヶ月間、高瀑を登る自分を想像した。息を飲むような高度感の中で、ランナウトする自分。完全に被った傾斜の上半部を、強烈なシャワーを浴びながら突き進むクライマーと、ロングフォール。期待と不安の入り混じる時間を過ごすことが僕には必要だった。

 3P目のスタート地点につく頃には、高瀑は完全に雲の中に入り込み、辺りは暗く陰湿な霧に覆われていた。困難に見えないブロック状に形成されたフェースを左上するも、濡れた滝の全ては滑らかなコケによってフリクションは無く、慎重に登らざるを得ない。あまりに最上部が被りすぎていて、ここはそうでも無いと錯覚してしまうが、水の滴りを見れば傾斜が垂直以上なのは分かりきっている。緻密な柱状摂理の前傾した帯を越えていく。ここは、最上部の前哨戦と言うべき箇所なのに行きつ戻りつを繰り返すばかりでラインが見えない。こんな所で行き詰るようでは、最上部はどうなってしまうのかと不安がよぎった。それでもしぶとくラインを探り、プロテクションを固め取った。ブラシを口にくわえながら、一手出しては次のホールドをブラッシングしていく。シャワーを存分に浴びながら刺激的なクライミングが続いた。
 4P目の核心部がやってくる。スパンと切り立ち磨かれた凹角の基部では、最後のピッチを見上げるのも困難な程にシャワーが激しい。叩き付ける水の圧力と低温、パンプ。それらによって前腕や足の感覚が麻痺してくるのを分散させながら、レストする。今にも滑り出しそうなヌメッたフットホールドと不安定なホールドを押さえつける様にしながらのけ反り、頭上のリスに片手でピトンを打った。無理な体勢を強いられながらハンマーを振るう。加重の不十分な左足が疲労と恐怖で震えだした。最悪過ぎる。やっとのことで設置したピトンの周りの岩を叩くと軽い頼りなげな音が返ってくるが、これ以上の支点は求めようがなかった。

 ボロボロの壁の浮き石をほじくって最後に残ったのは、小さなオニギリのようなカタカタ動くホールドが3つ。慎重にホールディングしてトラバースする。弾けるに決まっているのに、それらの角にスリングを引っ掛けてロープを通した。滝の流芯となるカンテを回りこむ。轟音のシャワーに包まれつつ「焦るな」と自分につぶやいた。ここでのフォールは許されない。高い集中力を持って瀑水に抗い、苦しいブラッシングをしながらトラバースを続けた。
 滝の流れをトラバースしシャワーからやっと開放される。乾いた滝の左壁を登ってみたけれど、気持ち良く登れたのは数メートル。最上部に近づくにつれ壁は緻密になり傾斜も強くなっていく。プロテクションが取れる見込みは無さそうだ。クライムダウンして再び流芯のカンテに戻った。突破口はここのみに残されている。再び強烈なシャワーに身を晒した。「進むべき道はどこなのか?」と見上げる傍から絶え間無く落水が降り注ぎ、目も開いていられない。数手登っては、手探りでホールドを確かめクライムダウン。目星を付けたホールドを磨く為に数手登りブラッシングしてクライムダウン。瀑水を浴びながらうなだれ、不安定な体勢で前腕を必死にシェイクする。その先に何が待っているのか。怯む心と燃えるような心を行き来した後、意を決した。強烈な飛沫の中で、消えそうになる自分の存在を確かめる様に吼えた。「諦めるな!」瀑音に負けじと何度も吼えて僕は高みを目指した。

 霧のスッキリとれた青空に輝く太陽の光を浴びながら、平らな落ち口に這い上がり歓喜した。フォローしてきた成瀬さんが馬鹿笑いしながらシャワーを振り切り落口に顔を出す。僕らの登攀を見守り、撮影してくれた青島さんも滝下に小さく見える。さっきまでの激しさはいったい何だったのかと思う程、平和であたたかい最高の幸せが僕を包み込んでいた。

データ
四国 石鎚山系北面 高瀑(タカタル) 落差132m 4P
登攀日:7月16日、17日
メンバー:成瀬陽一、佐藤裕介、青島靖(撮影)

四国の石鎚山系の北面にそそり立つ高瀑。132mもの落差を落ちる滝の流れは上半部、完全に空中に舞いその傾斜の強さを物語っている。。
5月上旬、四国をめぐる滝登りツアーの一環で高瀑を訪れたが、まだ滝下に残雪が残っている状態で、雪解け水の冷たさと水量の多さによりトライには至らなかった。登攀の可能性を探るべく滝の落ち口へ回りこみ、50m懸垂下降して滝の右壁を試登した。この試登によって、滝の傾斜・岩質等を知り、右壁直上ラインは不可能である事も確認した。
本トライは、7月。初日に1P目、2P目を登りロープをフィックスして滝下で泊まり、2日目、フィックスロープをユマーリングして登攀を再開した。

1P目(50m)成瀬リード:最下部を右から登り登攀開始。ランペを左上しシャワーを浴びながら傾斜の強いフェースを直上。ランナウトする。最後は、右にトラバースしてテラスに出る。外傾したサイドホールドを多用し、予想以上に悪く風向きによってシャワーの激しさが変わることも登攀を難しくした。

2P目(35m)成瀬:ビレイ点から直上する乾いたフェースにラインを求めるが、外傾したホールドと傾斜の強さから断念。激しいシャワーを浴びながら左上して折り返す。
1P,2P共に、ホールドは濡れて外傾しておりヌメル。岩はかなり固く安定した安山岩の柱状摂理だが、摂理が緻密過ぎて持参した0番のカムも受け付けずプロテクションはビレイアンカーを含めピトンに頼った。(一箇所のみナッツ使用)

3P目(45m)佐藤:左上している柱状摂理のブロック状フェースを進み、シャワーを浴びながら被った柱状摂理の帯が最も短い部分を乗越し再び左上。流芯に近づき被ったフェースの左端を登る。カム2個、ナッツ1個、ピトン7枚。ビレイアンカーはピトン2枚。この内一つについては、凹角の隅に設置したため回収不能になってしまい残念ながらこの登攀、唯一の残置物となってしまった。真に申し訳ない。

4P目(35m)佐藤:スッパリと磨かれた凹角右のフェースを登り、登攀ライン中、唯一の破砕帯を左にトラバースして流芯であるカンテを回り込む。かなり脆く、貧弱なプロテクションしか取れず神経を使う。
最上部、流芯のカンテ上は傾斜がかなり強い上に非常に激しいシャワーを浴びながらの登攀になるが、意外なことにホールドがつながっている。プロテクションはピトンと手探りで極めたカムで取れたが、ランナウトする。

使用ギア:ロープ50m×2、カム、ナッツ、ピトン、フラットソール。ボルトキットは持参しなかった。

 各ピッチに大雑把なデシマルグレードを付けようと試みたが、それは意味をなさないことに気がつき止めにした。今まで登ってきたクライミングや大滝登攀と余りにかけ離れていて数値での比較はできない。とても困難で冒険的だったとしか、僕の経験からは説明しようが無いのだ。
 今回の高瀑登攀は、日本の既登されている大滝の中で異次元的な困難さを誇っている。登攀してみてハッキリしたが、エイドギアを満載に重装備でトライしたとしてもラープやペッカー等も受け付けない緻密なブランクセクションがルートの大部分をしめ、フリークライミング中心で登る以外、登攀する事は出来ない(ボルト連打は論外として)。
 また、フリークライミングによるマルチピッチクライミングのルートとしても特異な存在として捉える事が出来るだろう。日本のマルチピッチルートはそれなりに登ってきたが、強傾斜の度合いは、錫杖・北沢デラックス、屏風・青白ハング辺りと比べても遜色なく、ボルト等の残置物がないことは決定的に冒険の度合いを増している。クラックも形成されないこの大滝を、グランドアップでビレイ点も含めてボルトを一切使用せずに、しかもフリークライミングで初登できたことは試登等の取り組み方を差し引いても自分にとって画期的な登攀だった。
 いつまでも得られないかもしれないプロテクション。一歩上がるごとに窮地に追い込まれるのでは無いかという恐怖を克服しながら高瀑に唯一引かれたラインは、滝の心臓部といえる流芯が弱点となって存在する。沢屋として僕らの祈りを凝縮した完璧なライン。様々な幸運が重なってこの素晴らしい登攀を完成させる事ができた。特にこの滝に巡り合う直接のきっかけを与えてくれた、青島さん・成瀬さんに感謝したい。彼らの未知に対する飽くなき挑戦があったからこそ今回のトライがあった。
 「人間によって登れた」という事実を知るだけで、登攀者の気持ちは軽やかになる。それと同時に本当の困難を乗り越える機会を失ってもいるのだろう。「本当に登れるのか、その先に何が待ち構えているのか?」大いなる期待と不安を抱え、一筋のラインをこじ開ける初登攀の喜びをこれからも追い求めて行きたい。

2011年7月 記

2015年8月追記:登攀当時の2011。未登の滝だと思っていた高瀑ですが、40年も前に左壁を登った記録がありました。そのラインも傾斜がありかなりの困難が予想されます。さすがに、ボルトを使用しての人工登攀が混じる内容ですが、素晴らしい登攀であったと思います。